混浴風呂で若い女性と遭遇する確率
温泉が好きである。
特に田舎にある鄙びた温泉がいい。
前の会社にいたときは埼玉の北部に住んでいた。
高崎までは電車で15分。
都心に出るよりも遥かに近い。
そして群馬は温泉大国である。
行かない理由がない。
わざわざ奥地の温泉まで行かなくても、高崎駅から10分ほど歩いたところに「さくらの湯」という公衆浴場がある。
ここはれっきとした天然温泉である。
内湯のみの小さい浴場だが、毎週土曜の夜、風呂上がりに座敷で飲むコーヒー牛乳の旨さったらない。
温泉に入っている時だけは、平日の嫌なことも忘れられる。
当時は冬だったので、木曜、金曜と風呂に入らず、土曜日に入るということをよくやっていた。
正直、アヘ顔になるほど気持ちいい。
おすすめなのでぜひやってみてほしい。
群馬は温泉文化が発達しているので、混浴も多い。
私もあわよくば若い女性の裸を見たいという理由で、いくつかの混浴温泉を訪問したものである。
男性諸士は気になることだろう。
混浴に行けば、本当に若い女性はいるのだろうか。
私はついぞ一度も遭遇しなかった。
マイナーな温泉ばかり行っていたというのもあるが、4ヶ所行って遭遇したのはおばちゃん(湯浴み着あり)一人であった。
年の瀬も迫った2016年の年末、私は上越線の後閑駅に降り立った。
混浴露天風呂で有名な猿ヶ京温泉へ行くためである。
後閑駅はかつて特急や急行が停車していたが、いまは静かな田舎の駅である。
駅前のバス乗り場で猿ヶ京行きのバスを待つ。
バスは転車台で転回していた。
これはバスが乗ると勝手に動く仕組みなのだろうか。
ガラガラのバスで猿ヶ京へ向かう。
この手のバスは土曜でも乗客が自分一人ということが多いので、心配になる。
沿線には月夜野(つきよの)という美しい地名があり、与謝野晶子もこの名を彼女の旅行記へ記している。
終点の猿ヶ京へは小一時間ほどで到着した。
なんとも寂れた場所であるが、ここは高崎と新潟を 結ぶ三國街道に面しており、交通の要衝であった。
関越自動車道が完成するまで、ここは東京と新潟を結ぶ動脈だった。
バスターミナル前の食堂でカツ丼を食べた。
けっこう繁盛しているようだ。
腹ごなしに付近をうろうろしてみる。
群馬から新潟南部にかけては、かつて養蚕が盛んであった。
そのためこの地域はかなり潤ったという。
その一翼を担ったのが、一昨年世界遺産に登録された富岡製糸場である。
上越線や信越本線も、この地方で作られた生糸を新潟港や東京の港へ輸送するという重要な任務を負っていた。
この地域の古い家屋には、下の写真のような様式が多い。
二階部分に庇があり、二階が一階より広く作られている。
これは二階でカイコを飼っていたからである。
二階が広いのは、床面積を広げてカイコを少しでも多く飼うため。
一説には家計を支えてくれているカイコに敬意を表するため、二階で飼ったというものもある。
腹ごなしもできたところで、温泉へ行くことにした。
猿ヶ京唯一の混浴がある、某ホテルへ日帰り入浴に来た。
ここは露天風呂が混浴なのだが、大小様々な湯船が並べられていて面白い。
内湯も湖に面しており、景観は申し分ない。
たぶん対岸の家から望遠鏡で覗けば、浴室を覗けると思われる。
しかしエロいJDと遭遇することなく、私は肩を落としてホテルを後にした。
実はこの日、猿ヶ京温泉ではなく、ここから10キロほど離れたところにある湯宿(ゆじゅく)温泉というところに宿を取っていた。
バスまで時間があるので、行ってみたかった与謝野晶子記念文学館に行くことにした。
入館すると係員のおばちゃんが、与謝野晶子が猿ヶ京に訪れたときの記録をもとにしたドキュメンタリーを見せてくれた。
与謝野晶子は2回、この地を訪れている。
一度目は夫、与謝野鉄幹と旅行し、二度目はその10年後、鉄幹の死後である。
晶子は旅行記の中で、鉄幹との思い出を述懐している。
バスで猿ヶ京を後にし、湯宿温泉へ向かう。
湯宿は温泉街が300メートルほどの小さな温泉である。
宿の風呂に入ろうとして驚いた。
熱すぎる。
50度以上あるのではないだろうか。まともに入れたものではない。
一応埋める用のホースがあるが、源泉がこんこんと湧き出してくるため、追いつかない。
諦めて体にかけるだけにした。なんと悲しい。
湯宿は名前のとおり、相当な温泉好きでなければ入れないような温泉であった。
2016年12月24日