人生どうでも飯田橋

日々感じたことを綴ります

金子みすゞの詩集を買った話

小さいときから本屋が好きである。

 

前職在職中の精神状態が悪かったとき、金子みすゞの詩集を買った。

それを目当てで行ったわけではないが、手に取ってぱらぱらとめくるうちに、なんとなく読んでみたくなった。

 

金子みすゞの詩は国語の教科書にも載っており、その名を聞いたことがある人も多いだろう。「私と小鳥と鈴と」や「こだまでしょうか」が有名である。

 

1903年山口県長門市で生まれ、わずか26歳で自らその生涯を閉じた。一説には、夫のDVに対する無言の抗議とも鬱病であったとも言われている。

生誕地である長門市仙崎は、江戸時代から捕鯨で栄えた町であり、彼女の生家跡には記念館が建っている。

 

彼女の詩を読んでいると、なぜ小学校の国語の教科書に採用されたのか、おぼろげながらわかってくる。

 

例えば、私は以下の詩が好きである。

 

「大漁」

 

朝焼小焼だ

大漁だ

大羽鰯の大漁だ。

 

浜は祭りの

ようだけど

海のなかでは

何万の

 

鰯のとむらい

するだろう。

 

「雀のかあさん」

 

子供が

子雀

つかまえた。

 

その子の

かあさん

笑ってた。

 

雀の

かあさん

それみてた。

 

お屋根で

鳴かずに

それ見てた。

 

「げんげ」

 

雲雀聴き聴き摘んでたら、

にぎり切れなくなりました。

 

持ってかえればしおれます、

しおれりゃ、誰かが捨てましょう。

きのうのように、芥箱へ。

 

私はかえるみちみちで、

花のないとこみつけては、

はらり、はらりと、撒きました。

ーーー春のつかいのするように。

 

これを国語や道徳の教科書に載せた場合、メッセージ性としては、「他人の気持ちを汲み取ることができるようになりましょう。自分が嬉しくても他人が嬉しいとは限らない」ということを伝えることができる。

しかし金子みすゞのすごいところは、これらの詩を幼少の頃に詠んだということである。

大漁のお祭り騒ぎのかたわらで、誰が死んでいったイワシのことをここまで想像し得るだろうか。

自分の子どもを捕らえられた雀の母の気持ちを詠めるだろうか。

枯れていく草花のことを気遣うことができるだろうか。

 

ぜひパワハラ上司に読んでいただきたい一冊である。

 

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