人生どうでも飯田橋

日々感じたことを綴ります

初出勤前夜

いよいよ明日である。

前職のときは日曜の昼頃から憂鬱感が高まり、月曜の朝にピークを迎える。

 

今日も少しだけEXCELの勉強をしたのだが、復習しないとすぐにすっぽ抜けてしまう。資格を取っても実務で使えないとまったく意味がない。

なぜ自分がこんなに頭が悪いのか、社会に適合できないのか、本当に嫌になる。

 

せめてもの救いは、自宅から通勤できるという点である。

縁もゆかりもない土地でひとり暮らしは、やっぱりきついと思う。

会社で友達ができれば話は別だが、私のように孤立してしまうともう打つ手がない。

 

加えて、私はこれまで7回引越しを経験している。

引っ越しは本当に心身ともに磨耗する。

きちんとした理由がある引っ越し(転勤、就職、進学)ならいいが、再就職、退職による引っ越しは抜きん出て心身の消耗が激しいと感じた。

まるでその土地に魂の数%を吸い取られ、回収不可能の状態に陥ったようだ。

そのような"負の引っ越し"を続けて行くと、そのうち魂がとんどんすり減り、体の中ががらんどうのようになってしまうのではないかと怖い。

 

話は全然変わるが、この前小説を買った。

昔から精神状態が悪くなると小説を読む傾向があり、前職のときも何冊か読んだ。

基本的には寝る前に読むのだが、寝たら朝が来てしまうので、その恐怖を忘れるために読んでいたような気もする。

ジャンルはほのぼの系がメインで、たまに湊かなえとか東野圭吾みたいなミステリーと人間ドラマが合わさったものも好きだ。

主人公がバリバリの仕事できるマンの小説は絶対に読まない。

 

今日はそんな感じで。

 

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画像はオーストリアの雑貨屋。

また行きたい。

金子みすゞの詩集を買った話

小さいときから本屋が好きである。

 

前職在職中の精神状態が悪かったとき、金子みすゞの詩集を買った。

それを目当てで行ったわけではないが、手に取ってぱらぱらとめくるうちに、なんとなく読んでみたくなった。

 

金子みすゞの詩は国語の教科書にも載っており、その名を聞いたことがある人も多いだろう。「私と小鳥と鈴と」や「こだまでしょうか」が有名である。

 

1903年山口県長門市で生まれ、わずか26歳で自らその生涯を閉じた。一説には、夫のDVに対する無言の抗議とも鬱病であったとも言われている。

生誕地である長門市仙崎は、江戸時代から捕鯨で栄えた町であり、彼女の生家跡には記念館が建っている。

 

彼女の詩を読んでいると、なぜ小学校の国語の教科書に採用されたのか、おぼろげながらわかってくる。

 

例えば、私は以下の詩が好きである。

 

「大漁」

 

朝焼小焼だ

大漁だ

大羽鰯の大漁だ。

 

浜は祭りの

ようだけど

海のなかでは

何万の

 

鰯のとむらい

するだろう。

 

「雀のかあさん」

 

子供が

子雀

つかまえた。

 

その子の

かあさん

笑ってた。

 

雀の

かあさん

それみてた。

 

お屋根で

鳴かずに

それ見てた。

 

「げんげ」

 

雲雀聴き聴き摘んでたら、

にぎり切れなくなりました。

 

持ってかえればしおれます、

しおれりゃ、誰かが捨てましょう。

きのうのように、芥箱へ。

 

私はかえるみちみちで、

花のないとこみつけては、

はらり、はらりと、撒きました。

ーーー春のつかいのするように。

 

これを国語や道徳の教科書に載せた場合、メッセージ性としては、「他人の気持ちを汲み取ることができるようになりましょう。自分が嬉しくても他人が嬉しいとは限らない」ということを伝えることができる。

しかし金子みすゞのすごいところは、これらの詩を幼少の頃に詠んだということである。

大漁のお祭り騒ぎのかたわらで、誰が死んでいったイワシのことをここまで想像し得るだろうか。

自分の子どもを捕らえられた雀の母の気持ちを詠めるだろうか。

枯れていく草花のことを気遣うことができるだろうか。

 

ぜひパワハラ上司に読んでいただきたい一冊である。

 

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よしもと新喜劇を生で見た話

この前の金曜日、よしもと新喜劇を生で見るために京都まで行ってきた。

私は小学生のときから新喜劇が好きで、毎週土曜日は欠かさず見ていた。半ドンの日は母の作った炒飯か焼きそばを食べながら見るのが常であった。

新喜劇の出演者もギャグもワンパターン化しているが、何度見てもなぜか面白い。歴史が長いだけに出演者の高齢化も進んでおり、島木譲二井上竜夫の訃報にはさすがの私も胸を痛めた。

私は辻本茂雄がいちばん好きである。カツラをかぶり「茂造」という役に扮する彼を見ると、憂鬱なことが少し紛れるような気がする。そんな彼は人一倍笑いに厳しいらしい。

私が先日見た回も、彼が座長を務めた回である。

 

丹波橋近鉄特急を降り、京阪電車に乗り換えて伏見稲荷に行った。数えてみたらこれで7回目の京都であったが、伏見稲荷は行ったことがなかった。

平日だというのに観光客で溢れていた。土日はすごいことになるのだろう。特にtehuみたいな顔をした中国人が多い。中国ではtehu顔が人気なのだろうか。

伏見稲荷と言えば千本鳥居である。鳥居がずらりと並んだ様相はさぞかし壮観なのだろう。しかし鳥居道は観光客で埋め尽くされていた。写真で見るような景色を見たければ、明け方に行かないと駄目だ。

 

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稲荷山の山頂まで登る予定だったが、だるくなってきたので御朱印をもらって早々に下山することにした。

 

京阪電車出町柳へ向かう。出町柳は「四畳半神話体系」で名を馳せた鴨川デルタがある。

昼飯を食いながら、ふとベニシアさんの家がある大原へ行くことを思い立った。

バスを待っているとリア充高学歴大学生が自転車で走り抜けて行く。死ぬほどうらやましい。戻りたい。

 

大原は京都とは思えぬほどの田舎である。大原三千院が有名である。ここで3つも御朱印をもらった。

土産物屋のおばちゃんに「土産にどうかね」とごぼうの漬け物を勧められて試食した。別にまずくはないが、正直買って帰りたいと思うほど旨いものではない。

おばちゃんに「どう? 旨いやろ?」と聞かれ、「ぉーん」と言うと「あ〜その返事は買う気ないやろ。声でわかるわ」と言われた。

確かに買う気はないが、面と向かってそれを言うか?   試食を勧める前に、私の顔面を見て買う気があるか無いかを判断してもらいたかった。

 

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寂光院も行きたかったが、遠いしだるいのでやめた。

バスで出町柳へ戻り、京阪電車祇園四条へ向かう。

祇園の中華料理屋で夕飯を食ったのだが、隣のおっさん連中のうち一人がコンビニへ行ってウコンとバイアグラを買ってきたので笑いそうになった。

 

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そしてグランド花月祇園で新喜劇を見た。茂造が出てきたときは感動で泣きそうになった。いつもテレビで見ている人が目の前にいるのは、なかなか感慨深いものがある。

珠代も相変わらずキチガイだったし、サキさんは激太りしてるし、本当に笑いっぱなしの1時間であった。

 

また機会があれば見に行きたい。

罰当たりな神頼み

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入社日が刻一刻と近づいている。

なので最近はもっぱら運動とエクセルの勉強に勤しんでいる。

ちょっと自慢させてほしいのだが、先日MOSパワーポイント2013は満点合格した。

 

普通の事務職なら当たり前に使いこなせるソフトが全く使えないので、恥ずかしい限りである。

もう前職のような過ちを繰り返したくはない。いつまでもつらい記憶をほじくり返して被害者意識に浸っている場合ではないのである。

できる範囲で武装して来るべきときに備えなければならない。

 

市民プールがすでに今年の営業を終了したので、最近は自転車で10キロほど離れた喫茶店まで行き、そこで勉強をしている。

これで勉強のついでに運動が一緒にできるというわけだ。

おまけに部活も勉強も両立! 恋もうまくいきました! やっててよかった進研ゼミ!

 

 

さて、今日は神頼みについて書きたいと思う。

 

「苦しいときの神頼み」ということわざがあるように、よほど敬虔な仏教徒でない限り、日常的にお経をあげたり寺社仏閣に参拝する人は少ないだろう。

しかし我々は神頼みをする。

うんこが漏れそうなとき。宝くじに当選したいとき。好きな人と付き合いたいとき。

 

別に悪いことではない。むしろ日本の八百万の神々の存在を意識できる、いい機会であると思う。

 

しかし私は、罰当たり(なのかどうかはわからないが)な神頼みをしてしまったことがある。しかも、今後一切このお願いをしないという自信がない。

 

2016年 10月下旬

 

秋も深くなり、朝晩は相当冷え込むようになった。

埼玉北部は霜が降りるほどの冷え込みだった。

当時私は徒歩で40分かけて通勤していた。健康的な運動であり、体重も順調に減っていったが、それは異常な減り方だった。

 

県道7号線は三国街道のバイパスにもなっており、大型トラックが多く行き交う。

10月も中旬を過ぎると、通勤途中で「あのトラック、ハンドル操作を間違って俺に突っ込んで来てくれないかな」とか、「信号無視したダンプカーが突っ込んできてくれないかな」と考えるようになった。

しかし意地でも「死にたい」とは思わないようにしていた。

苦労して入った会社なのだ。ここで死にたいと思うことは、多大な労力と犠牲を払って行った就職活動を自ら否定しているようなものだ。新卒で入った1社目より優れているに違いない。

 

当時は老人の運転する車による事故が多発していた時期で、何人か犠牲者が出た。

夜のニュースで交通事故で死亡した人が取り上げられると、「この人は今朝起きたとき、今日自分が死ぬことを予想しただろうか」と、そればかり思った。

そして本当に不謹慎だが、心からうらやましかった。

私には自殺する勇気もなかった。だから神頼みをした。

 

10月のある週末、碓氷峠鉄道文化村からの帰り、高崎をうろついていた。

私は御朱印集めをしており、目ぼしい神社か寺があれば御朱印をもらおうと御朱印帖を持ち歩いている。

調べてみると、高崎神社という神社を見つけたので行ってみた。

外観は正直特筆すべきことがない神社であった。

 

賽銭を上げて、悩みに悩んだ末にこのお願いをすることにした。

 

「交通事故で死ねますように」

 

住所と名前を頭の中で唱える。

やってしまったと思った。

神聖な場所で、不謹慎なお願いをしてしまった。

 

御朱印をもらった。

神職の人に「よくお参りくださいました」と言われた。まともに顔を見られなかった。

なんて罰当たりなことをしてしまったのだろう。

私は逃げるように神社を後にした。

 

半年後、2017年4月

 

本社からの帰り、私は激詰めさんを助手席に乗せ、高速を運転していた。

抗うつ薬エチゾラムからテトラミドに変えたばかりだった。

眠気で憂鬱さを殺しているだけではないかと思うような、物凄い眠気だった。

 

「おい! 勘弁してくれよ!」

 

激詰めさんの声に我に返ると、センターラインを大きくはみ出していた。

後続車が来ていたら死んでいただろう。

 

いつかあの神社へ謝りに行かなければならない。

ジブリ映画のモデルになった城の話

ジブリ映画が好きである。

「その顔で…」と思う人もいるかもしれないが、好きなのだから仕方ない。

 

ジブリ作品には数々の美しい舞台が描かれている。

ナウシカの風の谷、魔女の宅急便の街、もののけ姫の森、ラピュタ城……

実在するならば行ってみたいところばかりだ。

しかし所詮は架空の話。作り話である。実在などするはずもない。

 

しかし、実在はしなくともモデルになった場所は存在する。

諸説あるが、一般的には下記のような見解がある。

 

もののけ姫 : 屋久

魔女の宅急便 : ドゥブロヴニク(クロアチア)、ストックホルム(スウェーデン)、タスマニア島(オーストラリア)

ナウシカ : フンザ(パキスタン)

ラピュタ : アンコールワット、ベンメリア遺跡(カンボジア)、スピシュ城(スロバキア)

 

ほかの作品は知らん。

私は2年前、スピシュ城に行ったことがある。地球の歩き方でこの城の写真を見てから、どうしても行きたかったのだ。

 

 2015年7月

 

ハンガリーブダペストを出た列車は定刻より30分以上遅れて、スロバキア東部の街コシツェに到着した。

時刻は夜10時を回っていた。

 

治安が良くないと聞いていたので、ビビりながら早足で宿へ向かう。

 

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翌朝は快晴だった。

駅で切符を買い、列車に乗り込む。

この辺りはジプシーが多い。ジプシーとは、1000年以上前、遥か遠いインド北部から陸伝いにヨーロッパまでやってきた人々のことを言う。

彼らの肌は浅黒く、容易に見分けることができる。

沿線にも彼らのスラムを垣間見ることができた。

 

1時間ほど乗ったところにある、スピシュスカー・ノヴァ・ベス駅で下車。

さらにバスに乗り継がなくてはならない。

駅前のバスターミナルから、スピシュスケー・ポトフラディエという舌を噛みそうな名前の小さな街まで行く。その街にラピュタの城はある。

 

40分ほど乗っていると、丘の上に立つ巨大な廃墟が見えた。あれがそうなのだろう。

バスを降りると、とんでもない田舎だった。

 

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標識に従い、城への道を歩いて行く。城は街のどこからでも見ることができた。

 

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シータがムスカ大佐に囚われていた城だ。

 

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ロボットが発射した目からビームで街が大変なことになった。

 

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帰り道、スロバキア名物のハルシュキという料理を食べた。ヤギのチーズでニョッキを和えたものである。

美味であった。

 

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レストランのお姉さん。

 

ジブリの聖地めぐりは面白いので、また行きたいと思う。

混浴風呂で若い女性と遭遇する確率

温泉が好きである。

特に田舎にある鄙びた温泉がいい。

 

前の会社にいたときは埼玉の北部に住んでいた。

高崎までは電車で15分。

都心に出るよりも遥かに近い。

 

そして群馬は温泉大国である。

行かない理由がない。

わざわざ奥地の温泉まで行かなくても、高崎駅から10分ほど歩いたところに「さくらの湯」という公衆浴場がある。

ここはれっきとした天然温泉である。

内湯のみの小さい浴場だが、毎週土曜の夜、風呂上がりに座敷で飲むコーヒー牛乳の旨さったらない。

温泉に入っている時だけは、平日の嫌なことも忘れられる。

 

当時は冬だったので、木曜、金曜と風呂に入らず、土曜日に入るということをよくやっていた。

正直、アヘ顔になるほど気持ちいい。

おすすめなのでぜひやってみてほしい。

 

群馬は温泉文化が発達しているので、混浴も多い。

私もあわよくば若い女性の裸を見たいという理由で、いくつかの混浴温泉を訪問したものである。

男性諸士は気になることだろう。

混浴に行けば、本当に若い女性はいるのだろうか。

 

私はついぞ一度も遭遇しなかった。

マイナーな温泉ばかり行っていたというのもあるが、4ヶ所行って遭遇したのはおばちゃん(湯浴み着あり)一人であった。

 

年の瀬も迫った2016年の年末、私は上越線後閑駅に降り立った。

混浴露天風呂で有名な猿ヶ京温泉へ行くためである。

後閑駅はかつて特急や急行が停車していたが、いまは静かな田舎の駅である。

かの与謝野晶子も80年前、猿ヶ京温泉を訪れている。

 

駅前のバス乗り場で猿ヶ京行きのバスを待つ。

 

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バスは転車台で転回していた。

これはバスが乗ると勝手に動く仕組みなのだろうか。

 

ガラガラのバスで猿ヶ京へ向かう。

 

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この手のバスは土曜でも乗客が自分一人ということが多いので、心配になる。

 

沿線には月夜野(つきよの)という美しい地名があり、与謝野晶子もこの名を彼女の旅行記へ記している。

 

終点の猿ヶ京へは小一時間ほどで到着した。

 

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なんとも寂れた場所であるが、ここは高崎と新潟を 結ぶ三國街道に面しており、交通の要衝であった。

関越自動車道が完成するまで、ここは東京と新潟を結ぶ動脈だった。

 

バスターミナル前の食堂でカツ丼を食べた。

けっこう繁盛しているようだ。

 

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腹ごなしに付近をうろうろしてみる。

 

群馬から新潟南部にかけては、かつて養蚕が盛んであった。

そのためこの地域はかなり潤ったという。

その一翼を担ったのが、一昨年世界遺産に登録された富岡製糸場である。

上越線信越本線も、この地方で作られた生糸を新潟港や東京の港へ輸送するという重要な任務を負っていた。

 

この地域の古い家屋には、下の写真のような様式が多い。

 

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二階部分に庇があり、二階が一階より広く作られている。

これは二階でカイコを飼っていたからである。

二階が広いのは、床面積を広げてカイコを少しでも多く飼うため。

一説には家計を支えてくれているカイコに敬意を表するため、二階で飼ったというものもある。

 

腹ごなしもできたところで、温泉へ行くことにした。

猿ヶ京唯一の混浴がある、某ホテルへ日帰り入浴に来た。

ここは露天風呂が混浴なのだが、大小様々な湯船が並べられていて面白い。

内湯も湖に面しており、景観は申し分ない。

たぶん対岸の家から望遠鏡で覗けば、浴室を覗けると思われる。

しかしエロいJDと遭遇することなく、私は肩を落としてホテルを後にした。

 

 実はこの日、猿ヶ京温泉ではなく、ここから10キロほど離れたところにある湯宿(ゆじゅく)温泉というところに宿を取っていた。

バスまで時間があるので、行ってみたかった与謝野晶子記念文学館に行くことにした。

 

入館すると係員のおばちゃんが、与謝野晶子が猿ヶ京に訪れたときの記録をもとにしたドキュメンタリーを見せてくれた。

 

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与謝野晶子は2回、この地を訪れている。

一度目は夫、与謝野鉄幹と旅行し、二度目はその10年後、鉄幹の死後である。

晶子は旅行記の中で、鉄幹との思い出を述懐している。

 

バスで猿ヶ京を後にし、湯宿温泉へ向かう。

 

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湯宿は温泉街が300メートルほどの小さな温泉である。

宿の風呂に入ろうとして驚いた。

熱すぎる。

50度以上あるのではないだろうか。まともに入れたものではない。

一応埋める用のホースがあるが、源泉がこんこんと湧き出してくるため、追いつかない。

諦めて体にかけるだけにした。なんと悲しい。

 

湯宿は名前のとおり、相当な温泉好きでなければ入れないような温泉であった。

 

2016年12月24日

街頭募金に感じる罪悪感

皆さんは下記のような経験をしたことがないだろうか。

 

街を歩いていると(郊外の駅近くのことが多い)「募金をお願いします」と外国人から声をかけられ、なにか首から下げた身分証明書のようなものと、今まで募金した人が署名した手帳のようなものを見せられる。

 

気になって調べてみたら、たいていの場合彼らはフィリピン人であり、集まった寄付金は彼らの生活費に消えるらしい。

つまり詐欺である。

彼らのすべてが100%詐欺なのかは知らないが、そういう行為をはたらいている奴がいることは事実なようだ。

 

私が初めて遭遇したのは去年の暮れ、静岡の沼津駅であった。

 

確かにうさん臭くはあったが、身分証明書があるならいかがわしいものではないだろうと思い、少額ながら寄付した。

 

それを生活費にされるとは……(^ω^U)

あのフィリピン人の姉ちゃん可愛い顔して……

 

それ以降、私は駅前でフィリピン人に話しかけられても無視するようになった。

 

震災のあとも募金詐欺が横行していたらしい。

私が覚えているニュースだと、募金箱から取り出した金でジュースを買ったところを目撃されたおっさんが逮捕されたというのがあった。

 

募金というのは尊い行為であると同時に、募金している人の前を素通りすることに引け目を感じるのは私だけだろうか。

 

人から言われてやるものでもないのだが。

 

震災の直後、私は新卒で就活中だった。

2012卒だったは私たちは震災の影響が最初に直撃する世代であり、血眼になり就職先を探していた。

3年に上がる前の春休みにインターン、就活解禁が3年の10月。

当時は実に大学生活の半分近くを就活に費やするスケジュールが組まれていた。

さらには経団連の定めた開始時期を守らないクソ企業によって、さらに前倒しされるケースもあった。

そんな中、震災の影響で志望企業が2社3社と新卒採用を中止していく。

ただでさえ少ない持ち駒が削り取られていった。

 

駅前には大学生のウェーイ系集団が募金を呼びかける声が常に響いていた。

 

東日本大震災によって被災された方に、募金をお願いしまーす!」

「お願いしまーす!!!!」

 

その前を素通りするたびに私は自分に言い聞かせた。

「助けてほしいのはこっちのほうだ」と。

私だって何回かコンビニで余ったお釣りを募金箱に入れたりしたことはあった。

もうやるだけのことはやった。

 

しかし、私は目を疑う光景を目にした。

 

その日も私は就活で都心のどこかを歩いていた。

信号が赤だったので、歩道橋を使うことにした。

 

その日もどこからか「募金をお願いしまーす!」の声が響いていた。

 

私は歩道橋の上から階段を見下ろした。

吐き気がした。

そこには、歩道橋の階段の終点の脇に4〜5人ずつ大学生が立ち、声を張り上げていた。

全員が首から募金箱をぶら下げていた。

 

◯         ◯ <募金をお願いしまーす!

◯         ◯ <募金をお願いしまーす!

◯         ◯ <募金をお願いしまーす!

◯         ◯ <募金をお願いしまーす!

   |歩 |

   |道 |

   |橋 |

 

 

私は無表情で、募金集団の花道を通り抜けた。

 

きっと彼らは、どうすれば募金を多く集められるかを議論したに違いない。

そして歩道橋の脇に陣取り、花道を作るという結論に至った。

彼らを非難するつもりは毛頭ない。

しかし彼らを見て回れ右していく人もいた。

 

募金は罪悪感を拭うためにするものでも、人から強制されてやるものでもない。

 

おやすみプンプン」の南条さんは言った。

 

「募金箱の前を素通りするだけで悪人のような気分にさせられるお前らが正常だとでも? どっちがおかしいのかよく考えろ」

 

それにしても沼津にいたフィリピン人の姉ちゃんはかわいかった……(^ω^U)

 

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