「懐かしい」と感じるとき
石油ストーブの匂いが好きだ。
ついでに言うと、気動車(ディーゼル列車)の排気ガスの匂いも好きである。
小学生のときは冬に石油ストーブを毎日つけており、それを囲むようにして授業を受けていた。
石油ストーブの匂いは、それを思い出して懐かしい気分になるから好きだ。
小学生のころ、正月だけは、ディーゼル特急「ひだ」に乗って父の実家へ帰省していた。
気動車の排気ガスの匂いは、それを思い出して懐かしい気分になるから好きだ。
日々生活していて、「懐かしい」と感じる瞬間は多々ある。
過去の旅行の写真を見たとき、数年前に流行した曲を聴いたとき、久しく会っていない友人と再会したとき。
私はほとんど毎日、楽しかった大学時代のことを思い出しては「懐かしい懐かしい」と生産性のないことをしている。
大学時代、心理学の教授は言った。
「懐かしさは五感で感じる」
逆に言えば五感以外のなにで感じるのだという当たり前の話ではあるが、私は妙に納得したことを覚えている。
過去の写真を見て懐かしいと感じる→視覚
過去の音楽を聴いて懐かしいと感じる→聴覚
おふくろの味で懐かしいと感じる→味覚
数年ぶりにおっぱいを揉んだので懐かしいと感じる→触覚
プールの塩素の匂いを懐かしいと感じる→嗅覚
やはり情報化社会の昨今、視覚や聴覚で懐かしさを感じる機会が多いのではないか。
私はというと、人生でいちばん楽しかった時期(2008〜2011年)のニュースを見るだけで懐かしいと感じる、非常に不謹慎な性格にひん曲がってしまった。
これも視覚と聴覚による懐かしさの知覚と言えるだろう。
しかし嗅覚で感じる懐かしさは、視覚や聴覚よりも強かった。
2016年 11月26日 (土)
しなの鉄道上田駅からローカル線に乗り換え、長野県の別所温泉へ向かっていた。
別所温泉は信州の鎌倉と称され、歴史ある寺社仏閣がいくつか点在しており、小さな温泉街を形成している。
私がここを訪れるのは、2003年の6月以来、13年ぶりのことである。
死んだ父が家族旅行に連れてきてくれた場所であったので、懐かしかった。
駅から温泉街まで、ゆるやかな坂を上っていく。
入り口に立つと、小さな温泉街が一望できた。
同時に、おぼろげだった記憶が修復されていく。
川はこんなに小さかっただろうか。
道幅はこんなに狭かっただろうか。
そのとき、硫黄の匂いが鼻についた。
どうやら温泉が直接川に流れ込んでいるようだ。
その硫黄の匂いを皮切りに、私の記憶は次々と蘇った。
泊まった旅館の名前、内装、浴室、立ち寄った寺の池に浮いていた蓮。
たかが硫黄の匂いごときで、ここまで懐かしい記憶がよみがえるとは思わなかった。
寺へ続く参道を歩いた。
記憶が面白いようによみがえる。
腹が減ったので適当な飯屋に入る。
ここで石油ストーブの登場。
久しぶりの畳。
お寺の入場券売り場のおばちゃんと少し話した。
13年ぶりに来たと言うと、「こんな小さい温泉のことを覚えとってくれてありがとね」と。
世間的に見れば小さい無名な温泉かも知れない。
しかし私にとっては忘れえぬ場所である。
帰り際、小さな公衆浴場に浸かった。
なかなか治らない口唇ヘルペスを、湯で浸した手ぬぐいでなぞった。
築50年は下らない浴場のタイルを、長いこと眺めていた。
2016年 11月26日 別所温泉