幻の路地裏
子どものころ、誰しも野山を駆け回った経験があるに違いない。
最近の子どもは知らんけど。
私も今でこそこのような体たらくではあるが、小学生のころは近所の山や神社を走り回り、自転車を一日中漕ぎ、友人の家でテレビゲームに興じるような子どもであった。
子どもとは不思議な力を持つもので、大人には見えないものが見えたり、不思議な体験をしたりするものである。
例えば遊んでいるうちに見たこともないような場所へたどり着き、別の日にそこへ行こうとしてもまったくたどり着くことができなかったことはないだろうか。
私はない。
ある夏の日に自分にだけ子どもが見えていたこともないし、友達と遊んでいるうちに異次元空間へ入り込んだことも残念ながらない。
だからそういう不思議な体験をしたことのある人が羨ましくもある。
しかしひとつだけ、印象に残っている出来事がある。
2006年の1月だったと思う。当時私は高校1年生であった。
その日は友人と自転車に乗っていた。
どこかの目的地へ向けて走っていると、細い路地に入った。
あたりは夕闇に包まれており、◯の中にアルファベットの「L」とだけ書かれた看板にも明かりが灯っていた。
路地は車が通れないほど狭かった。
すれ違った老夫婦が、「たいぶ日が伸びたなぁ」と話していた。
路地はすぐに終わり、見知った道へ出た。
もうこの路地の場所は思い出せない。
友人に聞いても当然覚えてはいなかった。
果たしてあの路地は実在したのだろうか。
もうひとつ、似たような経験をしたことがある。
2010年4月下旬のある日。
この年の東京はとても寒く、4月の終わりに雪が降った。
私は友人と吉祥寺の井の頭公園で待ち合わせ、ひたすら自転車で南下してみようと試みたのだ。
仙川で京王線の線路を越え、私たちは小田急の新百合ヶ丘に差しかかろうとしていた。
友人が、大通りを走るだけでは面白くないので、路地にそれようと提案した。
適当な路地に入り、南と思われる方向へ自転車を漕ぐ。
当時スマホなど普及しておらず、私たちは二人ともガラケーであった。地図もまったく見ていない。
しばらく住宅街の中を走っていると、景色が開けた。
私たちが立っていたのは丘陵地の上に造成された住宅街で、そこから新百合ヶ丘の街が見渡せた。
特に心が洗われるような絶景があったわけではない。
しかし、夕日を受けてきらめく家々は美しかった。
私たちは小田急の線路を越え、野川沿いに走り、溝の口付近まで達した。
駒澤大学の運動場の脇、砧本村のバス折り返し場近くの河川敷である。
私たちはしばらく多摩川を眺めていた。
調布の中華料理屋で夕飯を食い、吉祥寺に戻ってきたころにはすっかり夜も更けていた。
その後もこの友人とは自転車でうろうろすることが多かった。
2年後、2012年3月下旬
大学の卒業式を終え、私は引越しの準備をしていたとき、例の友人から連絡が入った。
多摩川への誘いだった。
私たちは武蔵境で合流し、南へ向かった。
仙川を越え、新百合ヶ丘の近くまできた。
私はふと丘の上から見た新百合ヶ丘の街並みを思い出し、友人に話した。
友人もその景色のことを覚えていた。
しかし適当なところを曲がった路地なのだ。
そう簡単に見つかるわけがない。
私たちはそれでもダメもとで路地へ折れた。
しばらく走ると視界が開けた。
あの路地だった。
こんなにあっさりたどり着けるとは思わなかった。
大学生最後の月にふさわしい出来事だと思った。
私は場所を確認しなかった。
もう二度とここへたどり着くことはできないだろうが、この路地は今も確実に存在しているのだろう。
2013年 10月 再訪時に撮影