人間だけが耐えるのだ
この前TLを眺めていたとき、あるツイートが印象に残った。
憂鬱な気分のときに無理して気分を上げようとしても無駄。
憂鬱なときは暗い音楽を聴いたり暗い番組を見たりして、完全に気分を最下層まで落とす。
あとは上がるしかなくなる。
おぼろげだが、確かそんなような内容だったと思う。
私と同じ考えの人がやはりいるのだ。
就活で何十社受けても内定をもらえなかったとき、仕事で自分の案件にだけイレギュラーが多発したとき、取引先に書類を失くされたのに上司に自分のせいにされたとき。
いつも帰り道にこの曲を聴いていた。
NHKのドキュメンタリー「映像の世紀」に使われる曲である。歌詞はなく、とても暗い。
悪い言い方をすれば、ものすごく陰気くさい。
何か嫌なことがあったあとにこの曲を聴くと、本当に気分が最下層まで落ちていくのをひしひしと感じる。
発売後に自殺者が多発したというハンガリーの「暗い日曜日」という曲があるが、音楽というものは酸いも甘いも人間をコントロールし得る存在なのかもしれない。
私は小学生の頃からこの「映像の世紀」が大好きであった。
特に第二次世界大戦を描いた第5集「世界は地獄を見た」はもう何度見たかわからない。
当時のモノクロ映像に、その時代を生きた人々の手記や述懐がナレーションとしてかぶせられる。
まるで自分がその時代を追体験しているような気分になる。
その中で頭からこびりついて離れないナレーションがある。
"スターリングラードはもはや街ではない。日中は火と煙がもうもうと立ち込め、一寸先も見えない。炎に照らし出された巨大な炉のようだ。それは焼けつくように熱く、殺伐として耐えられないので、犬でさえヴォルガ川に飛び込み、必死に泳いで対岸に辿り着こうとした。動物はこの地獄から逃げ出す。どんなに硬い意志でも、いつまでも我慢していられない。人間だけが耐えるのだ。神よ、なぜ我らを見捨てたもうたのか"
世界史を習った人ならスターリングラードという街の名を聞いたことがあるだろうか。
南ロシアのヴォルガ河畔に位置する街である。
1942年夏から1943年の初めまで、この街で史上最大の市街戦が行われた。
グラードはロシア語で「街」を意味し、文字どおりこの街は「スターリンの街」という意味であった。
ヒトラーは重工業の要衝であったこの街を陥落させ、一気にモスクワに攻め込み、ロシアをねじ伏せるつもりであった。
これはソ連兵の回想であるが、ソ連兵は逃げれば味方に射殺され、突撃すれば敵に殺されるかの二択を迫られていた。
次元は違えど、「人間だけが耐えるのだ」という悲痛なソ連兵の叫びは、私の中で生涯消えることはなく、苦しい局面に立たされたときに思い出すのだろう。